「時計じかけのオレンジ」から人間性を考える

                         

                       

                      

1.      はじめに

 

 私たちが「時計じかけのオレンジ」を選んだ理由は、今までの授業の中で「博士の異常な愛情」「2001年宇宙の旅」などスタンリー・キューブリック監督の作品を観る機会があり、彼の作品には人間に対するメッセージが強く込められていることを感じ、20世紀の映画として何を伝えたかったのかを読み取るのにふさわしい作品だと思ったからです。

 

2.      方法

                                  

 時計じかけのオレンジを映像、ストーリー、時代背景の3つに大きく分担し、映画、原作、キューブリックに関する本などを調べて、私たちなりに分析しました。

 

 

3.      発表内容

 

@       映像について

 

彼は誰からも映画の撮り方を学ばず監督になった人である。アートスクールにも通わず、雑誌のカメラマンをしていた事もあり、かれの映像にかける執念はすさま  じかった。その貪欲なまでの探求心から「2001年宇宙の旅」では当時の最新技術を駆使した特殊効果の映像に一年もの時間を費やし、「シャイニング」ではあの恐怖の迷路の映像をNASA開発の最新カメラ“ヌテディカム”使い作り出した。その執着心から1シーンに40テイク以上撮る事が常であり、暴力シーンのために俳優の肋骨を2、3本折らせた事もあった。「アイズ・ワイド・シャット」のトム とキッドマンが鏡の前で激しくキスを交すシーンは照明のセットもいれて1週間かけてつくったというのはあまりにも有名である。また彼の映画では音楽も重要で「時計仕掛けのオレンジ」で主人公が“雨に唄えば”を歌いながら行うレイプシーンはなんともミュージカル風で主人公が暴力を楽しく、面白いものととらえているのがすぐに分かる。

完璧なまでに作品をしあげる彼のスタイルは“秘密主義”“誇大妄想”等数々の 「神話」をうみだした。彼の強烈な時代への風刺やセンセーショナルな映像の数々、冷戦と核の皮肉を描いた「博士の異常な愛情」、SF映画の金字塔「2001年宇宙の旅」、S.キングのホラー小説の映画化「シャイニング」、戦争映画の革命「フルメタルジャケット」etc…。一体時代が彼を生んだのか?もしくは彼が時代を創ったのか?スタンリー・キューブリック、彼の映画のなかで最も話題を呼び、最も社会を揺るがし、そして彼が最も恐れた「時計仕掛けのオレンジ」を紹介しましょう。

 

A       ストーリーについて

 

昼は全体主義が支配し、人々は管理体制に縛られている。その一方で、夜は不良少年どもの世界になってしまう。イギリスの殺伐とした悪夢のような近未来社会を描いた話である。

 

 (アレックスの度アップの顔。ミルクバーにいるシーン。)

そうした不良少年の1人、アレックスが主人公である。アレックスは原作では15歳という設定になっているが、映画ではもう少し年上といったところの、学生である。アレックスは左目につけまつげをして、麻薬入りのミルクを飲むミルクバーでたむろし、ステレオでベートーベンの第九を聞くという特異なキャラクター。

 

 (青い光の中で、老人をなぐる、けるの暴力シーン。)

アレックスはリーダーとして3人の仲間と共に、人間のもっとも根本的な衝動である攻撃欲と性欲を満たすために、強盗、レイプ、殺人といった忌まわしい犯罪を少しの自責の念も抱かずに繰り返す日々を送っていた。彼らは、作家の妻を輪姦し、浮浪者を意識不明になるまで蹴り、中年女性を殺害する。

 

 (刑務所で整列しているシーン。)

ところがアレックスは仲間の裏切りにあって殺人容疑で逮捕され、14年の実刑判決を受け、刑務所に送られる。

 

その2年後にアレックスは、政府による特別更正プランである「ルドヴィコ治療」の実験台になる。

 

 (目にクリップをつけているシーン。)

この「ルドヴィコ治療」は、アレックスを椅子に縛りつけ、まぶたにクリップをつけて目をつぶることができない状態にし、けんかや暴力や殺しの映画を見せ続けさせるだけなのだが、犯罪性反射神経を抹殺し、悪人を善人に矯正できると主張する。その際、偶然にも映画のBGMに大好きな第九が使われる。

 

 (暴力を振るおうとして、吐き気を催すシーン。)

実験は成功し、はれて自由の身となったアレックスは、ほんのわずかな暴力や大好きな第九にも吐き気を覚えるほどの嫌悪感を強制的に植え付けられた。

 

 (飛び降り自殺のシーン。)

更正したアレックスを待ち受けていたのは、彼のその特性を利用しようとする反政府の人々であり、彼らは政府を批判しようと、アレックスを自殺に追いこんだ。

  

 (包帯ぐるぐるのアレックス。音楽を聴いて、もとにもどるシーン。)

命は助かったが、アレックスの洗脳は解けてしまう。入院をしていると、この「ルドヴィコ治療」を実施させた政府が、マスコミに非難されたため、和解の証にアレックスの大好きだった第九をプレゼントする。その音の中でアレックスは、より大きな悪に生まれ変わってしまう。

 

 

·           読み取れたこと

 

このストーリーの意図が人間的な人間にあることを強く暗示しているように感じた。アレックスは「科学によって道徳的な選択の自由を奪われた人」になってしまった。つまり、人間が行動する時に善悪を識別する能力が奪われてしまったということだ。いくら更正させられても、自分の意志と自分の行動の両方ともが一致して善になっていなければ、表だけいい面をしているにすぎない。現に、アレックスは自分の意志は悪なのに自分の行動は善であるが故に苦しんでいた。自分の意志で動けないことは苦痛以外のなにものでもない。それはもう人間ではなくロボットと呼んだほうがよい。どんな悪からも、道徳的な選択の自由というものは決して奪ってはいけないということだろう。

 

B       時代背景について

 

「時計仕掛けのオレンジ」の原作は暴力のもとで生まれ死の影のもとで書かれた。この映画の原作者アンソニー・バージェスが兵役でジブラルタルに駐在中、ロンドンに残っていた身重の妻は市内が停電中に4人の若い米軍脱走兵に襲われ、金を強奪され、その妻は結局赤ん坊を流産した。それから何年か後、バージェスは手術不可能な能腫瘍があるという告知を受けた。自分が死んだ後に妻が困らないようにと猛スピードで原稿を書き、上記の事件をもとに少年の犯罪をテーマにした「時計仕掛けのオレンジ」のもとになる小説ができた。しかし、脳腫瘍が誤診であったことが分かり、あらためてこの小説を見直した時、ただの少年犯罪の小説であり、なんの新鮮味も無い事に気がつき何度も書き直した。そしてソ連に旅行をした時、ソ連の不良もイギリスの不良もなんら違いが無い事に気がつき、その当時(1961年)世界で最も強力な政治言語の英語とロシア語を組み合わせて作った「ナツァト言葉」を操る少年を主人公とし、この時代にはあまりにも残酷すぎる暴力や性描写のため時代を“未来”にした。そうして「時計仕掛けのオレンジ」の原作ができあがった。しかし、1962年にこの原作が発表された時、評論家の反応はいまいちで「タチが悪く、取るに足らない扇情小説」と言い、原罪と自由意志がテーマだとは気がつかなかった。知識者層が無関心を決め込んだにも関わらず、この小説は若者や当世風な者にまたたく間に支持を得た。映画化しようという話もでたが、露骨な暴力や性をざっくばらんに表現できる時代はまだ到来していなかった。例え   映画化できたとしても低予算のアンダーグラウンド映画としてナイトクラブで上    演程度のものであっただろう。

しかし60年代が過ぎて行くなかで時代は著しい変化をとげる。ヒッピーからパンク、理想郷なフューチャリズムから“ノーフューチャー”の時代への変化、さらに映画界でも暴力や性の描写に寛大になっていった。このような時代に乗り遅れる気がしたキューブリックは次に作ろうと思っていた「ナポレオン」の映画をやめ「時計仕掛けのオレンジ」の映画化を始めた。しかし、いくら暴力や性の描写に寛容になったとはいえ、この原作を読んだマルコム・マクダウェル(主人公役)が「この話は異様すぎるよ」と言ったようにまだまだ衝撃的なストーリーであった。原作が出た時からしばしば悪評であったが、この映画化がニュースのトップ項目に躍り出たのをきっかけに映画の悪評は加速度的に拡大しはじめた。このあまりの悪評ぶりにイギリスの内務大臣が関係者だけを対象とした試写会を要求した。大臣はそれ以上の行動は起こさなかったが、この悪評を引き立てるように検閲運動家や労働党員が“10代の暴力を増加させるだろう”と警告した。しかし初な70年代初頭においてこういった体制側の人騒がせな行動は映画を国中の必見映画にしてしまうだけであり、若者達はアレックス(主人公の名前)をパンク原始期のアンチ・ヒーローとみなし(「時計仕掛けのオレンジ」は初のパンク映画だった。様々サブカルチャーからなるイギリス若者文化を彼らの粋なスタイルや野卑なユーモアやチンピラてきな側面を恩着せがましく支持したり、そこから教訓を引き出したしり健全にみせかけたりすることなく描いたのははじめてであった。)、厳格なX指定を巧みに逃れて映画館にもぐりこむ事は名誉の勲章となった。この時代人々は暴力に非常に神経質になっていた。いままでタブーとされていた暴力の描写が寛容になったがため暴力を身近に感じる事になり、それによって起こる混乱。スキンへッズやサッカーファンによる暴力。さらにイギリス本土をはじめてターゲットとしたIRA(アイルランド共和軍)の爆弾テロや炭坑ストライキによる停電もよくおこっていた。国の組識が崩壊しつつあることを国民は感じていた。それにこの世代の若者は一世代まえとは人種が違うと大人達は感じていた。繁栄の為に子供を産んだはずが、その子供たちが寝返って自分たちを殺すのではないかという不安。この映画はそんな道徳的パニックも引き起こした。そんな時に登場したイギリスの歪んだ社会を舞台にしたこの映画がたたかれないはずがなかった。イギリス政府はスクリーンに映し出された社会の姿に不安を覚えた。“この映画の時代に我々は近づいている。”しかしキューブリックはこうした体制側の批判を冷たく嘲笑う。

 

「芸術には暴力がつきものだ。聖書にもホメロスにもシェイクスピアにも暴力は登場する。そして多くの精神科医がそれらは模倣の手本としてではなく、カタルシス(日ごろ心にひめている抑圧された想いを解放する事)として役に立っていると考えているんだよ。芸術作品が社会に危害を加えたことは一度も無い。逆に社会に対する危害の多くは自分たちが危険とみなした芸術作品から社会を守ろうとしてきた者達によってなされた。映画やテレビが無垢な善人を犯罪者に変えかねないなんていうのはあまりにも安楽的な発想である。」(キューブリック)

 

しかしそう言っていたキューブリックもファンファーレも鳴らさずにイギリス公開を打ち切った。その明確な理由は本人の口からは聞かされなかったが、他の国で    公開後に起こった映画を模倣にしたと思われる暴力事件が発生したからだと言わ    れている。例えば17才の少女レイプ事件、浮浪者殺害事件、映画をまねてドルーグ(アレックスを含む4人組)の格好をした4人の少年が尼僧を輪姦したという事件などである。「路上で起こっている事を“時計仕掛けのオレンジ”のせいにするチャンスを敵に与えるつもりもないし、この映画のテーマは誤解され続けている。」そういってさみしそうに笑うキューブリックの姿が目に浮かぶ。彼は死ぬまでイギリス上映を禁止した。しかしイギリス人はこの映画を求めてパリやアムステルダム、ニューヨークへ飛び、そのためそれらの国はイギリス人観光客によって大きな利益を得たという。

けれどこの映画のテーマをきちんと理解している人たちもいた。観客を対象とした新作映画の討論会での言葉をきけばそれがわかる。

 

「この映画は本当に“未来”なのでしょうか?だってこのショッピング・センター(プラスチックやコンクリートづくり)を見回してくださいな。わたしはこの映画のテーマは今この時代にあると思いますよ。」

 

「私たちはあの物語が描く時代にすでに到達しているのよ。アレックスという怪物をつくりだした責任は私たち親の世代にあるの。薄気味悪い高層ビルの20階で生まれたような子達には身の置き場もなければ、老女をぶん殴るしかエネルギーを発散する術もないのよ。」

 

これがキューブリックが時代にといかけたかったたくさんあるうちのテーマのひとつである。

  

    読み取れたこと

 

    公開された当時は衝撃的な内容であったこの映画はいまでは(映像の技術などはスゴイと思うが)さほど珍しいものでもない。無気力な若者それゆえ、暴力行為に陥ったり、自分の国の事にさえ無関心な成人、さらには自分がおかした汚職を隠そうとすることにしか能がない無責任な官僚や政治家たち。全員がそうとはもちろん言えないが、そういったもの達が増えているのは確かである。そしてこれが続けば国に無関心な国民は、自分の身のことしか考えない無責任な政治家達に騙され、自分の身のことしか考えない親は、子供の暴力にたいしただおびえ泣くだけになる。そうならないために私たちは何ができるのか?まず自分がより良い社会のためになにができるのか考えることから始まると思う。そして何か悪い事、例えば少年犯罪や汚職等が起きた時に雲がくしにしたり流したりせずにそれが何故悪いのか、どうして起こったのかを考え友達や親、クラスで討論しあえたらみんなもっと社会に関心がいくだろうし政治家に騙される事はなくなるし、それよりなにより政治家も皆に見守られている事から緊張感がでてくると思う。

 

 

4.  21世紀へのメッセージ

 

 「時計じかけのオレンジ」は「近未来」を描いたSF映画ですが、今確実に「未来」ではなくなってきています。学校内暴力や家庭内暴力、犯罪の低年齢化など、今の私たちが生きている世界とさほど変わらなくなってきているのです。私たちはその中で、アレックスのような人間にならないために、今何をしなければいけないのでしょうか。それには、自分の周りにある善悪は、それを見極める手助けとなる人やものを利用しながら、自分自身で考えていくことが大切だと思います。利用する方もされる方も自分の考えをぶつけ合うことによって、またさらに考えるため、ロボット化を防げると思います。それゆえ、自分自身で考えることができるという人間の最大の特性である選択の自由は、どんな悪人 からであっても決して奪ってはいけないのです。

       

 

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