総合学習「英語を使って日本について留学生や世界の人々に発信する」

                    

文明開化から今日に至るまで

 

1 テーマ設定の理由 

  私たちは、最初は外国に「日本文化」を発信しようと思いました。そして、日本文化として私たちが初めて思い浮かべたのが、着物とか茶道などといった一寸法師の中に出てくるような類のものでした。でも、調べていくうちに、それが今の私たちの生活とはかなりかけ離れている事に気付いたのです。日本によく通じていて、日本が大好きな外国人ならそういった文化は喜んで知るでしょうが、世界中にたくさんあるうちの一国である日本に興味を持っている外国人というのはごく一部に過ぎません。着物について発信しても、今の日本人のほとんどが着物ではない「洋服」を着ている限り、それはかえって誤解を招く事になるかもしれません。そこで方向を変えて、日本文化を、伝統的な日本文化から今の近代的な日本文化へと変化させたきっかけとなった、明治の文明開化について調べ、発信する事にしました。

 

2 外国に発信するにあたって

  まず、日本文化は大きく3つの性格があることを説明しておきます。それは、

@       伝統文化 (純粋な日本文化)

A       混合文化 (文明開化以降の西洋と和の混合)

B       近代文化 (戦後の均一的な文化)

です。 伝統文化は何百年も日本に根付き、発展してきた文化で、おそらく消えてしまうことはないでしょうが、近代文化に比べると、ほとんど勢いはありません。私たちはこの事をとても残念に思うのですが、生活は便利になる一方で伝統文化は昔に比べて随分廃れていっています。

  文明開化の頃に生まれた日本文化は、「すき焼き」など今では立派に日本文化を代表するものもあり、これから文明開化について探ってみようと思います。

 

3 食文化 

 a 肉食

  今、私たちが毎日のように食べている牛肉は、日本で1200年以上もの間禁止されて      

いました。獣の肉を食べると心身がけがれる、という仏教思想があったためです。明治

政府は肉食解禁により、この長い間の伝統を打ち破る事にしました。

しかし、1200年に渡り回避してきたものをそう簡単に受け入れられないとか、調理の仕方がさっぱり分らないとかの理由で、肉は庶民の食卓になかなか登場しませんでした。この肉食への強い抵抗感を和らげたのが、牛鍋です。

  欧米の肉料理のように香辛料は使わず、日本の調味料である味噌・醤油・砂糖

で煮込んだ日本独特の鍋です。つまり、牛鍋は日本人の食卓を欧風化したのではなく、

洋風素材の牛肉を和風化したのです。日本人の肉食に対するけがれ感は少しづつ

なくなっていきました。

  当時の牛鍋屋の流行はすさまじいもので、西洋料理店が日本橋、京橋、神田界隈に限られていたのに対して牛鍋屋は浅草を中心に下町中に広まり、明治10年には東京府下に488軒もの牛鍋屋がありました。仮名垣魯文の『安愚楽鍋』では大工や左官、人力車夫、

書生、芸奴らが「牛鍋を食わねば開化不進奴」などと云い合いながら流行の先端をいく料理を得意満面 に食べる、牛鍋屋大繁盛の様子が描かれています。牛鍋屋に足を運ぶのは、車夫や職人たちで、通常は、牛肉を家に配達させていたのだそうです。

  福沢諭吉ら文化人は、長年仏教の戒律によって忌み嫌われてきた食肉を大いに勧めるキャンペーンを張り、慶應義塾の学生たちは彼らに感化されてさかんに牛鍋屋に通ったそうです。 

  明治の東京で牛鍋と呼ばれてきた料理は、関東大震災後、鋤の刃上で鳥や獣の肉を焼いたことに由来する「すきやき」という関西風の呼び名に変り、全国に広まっていきました。経済学者の河上肇は大正初期の留学中、パリの日本人画家宅で島崎藤村と一緒にすき焼きを御馳走になったことを後々まで思い出しています。スキヤキは当時からすでに懐かしい薫りに満ちた日本オリジナルの味として異国に暮らす日本人たちからも愛されていたのでした。

 

 b あんぱん

  パンは、日本人が米を主食としていた為、長い間馴染まないでいました。パン食を受け入れる為にはある発想の転換が必要だったのです。それは、主食としてダメなら「おやつ」としての菓子パンを開発しようということでした。そうして発明されたのが、あんぱんです。日本の伝統的なあんで西洋のパンを食べる工夫は、庶民にも受け入れられ

大成功となりました。もし、あんぱんが誕生していなかったら、その後の日本のパン食文化はどのような展開になったのか危ぶまれるほど、これは画期的な発明でした。

  こうして西洋のパンに抵抗しつづけてきた庶民は、和風の菓子パンの出現で パンに親しみを持ちはじめたのでした。

  後にさまざまなパンが発明されました。ジャムパン・クリームパン・カレーパン

やきそばパンなど。日本は、今や世界一ともいえるパン王国に変身しているのです。

 

 c カレーライス

  肉が食べられるようになったので、多くの「洋食」が誕生しました。カレーライスはそんな洋食の中で、今も人気の高い料理です。

  カレー料理の発祥はインドで、我が国へは文明開化の鐘の音とともに明治初期にイギリスより渡来しました。

  初登場は明治5年出版の料理書「西洋料理指南」と「西洋料理通」。前者ではイギリス流のカレーソース、後者ではフランス流のカレー粉で煮込んだ肉料理が紹介されています。その後、家庭料理書にもカレー料理が載せられるようになりましたが、まだ、さらっとしたカレーでした。

  明治20年代になると、日本独特の、どろっとしたライスカレーが出てくるようになりました。少量の肉にジャガイモ、にんじん、タマネギを加え、小麦粉をたっぷり使った

糊っぽいソースです。

  西洋料理の中でも、最もご飯に合うからか、都会の中産階級を中心に急速に浸透していきました。「西洋と日本の文明が一つの皿に盛られ、文明開化の香りがする」との評判までたったほどでした。かの文豪・夏目漱石も胃弱にもかかわらず興味を示し、「三四郎」の中に取り上げられています。

  カレー粉は明治36年、大阪の薬問屋ではじめて一般に売られました。しかし、そのカレー粉は輸入品であり、国産カレー粉はまだなかったのです。国産カレー粉の生産に成功したのは大正12年のことで、ヱスビー食品の創始者である 故・山崎峯次郎氏によって生産されました。次第に家庭でもカレーを作るようになり、第一次世界大戦前後には、カレー粉需要が増え始め、軍隊でも、辛味入汁掛飯(からみいりしるかけめし)と呼ばれ、人気メニューとなりました。

  カレーの伝来は伝統的な一汁一菜主義の食習慣から脱皮するきっかけになり、近年の日本人の体位向上にも大いに貢献してきたということができます。

 

 d 怪しい西洋食

  明治も三十年代に入ると、家庭科料理雑誌に、和洋折衷料理が頻繁に紹介される様になりました。極端な組み合わせによる料理も出てきました。

 『女鑑』(190405〔明治3738〕)には、カレーの味噌汁・牛乳入り汁粉・ハムの粕漬・刺身のマヨネーズがけ・マスタードつきの蒲焼・牛乳入りのまぐろのぶつ切りが紹介されています。多くの料理人が知恵を絞り出し、暗中模索をしているのがよくわかります。そのような料理や菓子を仕立てたにせよ、その話からも、明治の人々のエネルギーが伝わってくるのではないでしょうか。

  しかし一方、こうした料理の乱れを嘆く声もまた上がってきました。―――珍妙な西洋料理のはんらんにより、日本料理までがまずくなりました。西洋人と日本人の夫婦のようで、どこかしっくりしないのです。御馳走というよりは滋養を強調し過ぎたため、料理の概念が変わってしまったのです。たとえば、ドジョウのトマトシチュー・ミルクライス・牛肉の茶碗蒸・サラダ入りおにぎり・うどんカブのトマトソース焼きなど、

考えられる限りの和洋折衷料理が、もっともらしく料理書に紹介されています。和洋折衷菓子も多く、ジャミあん最中(ジャムあん最中)・レモン最中・チョコレートおこし・アンモニアまんじゅうなど、奇想天外なものまで現れていたのです。 

 

4 生活 

  政府は断髪令を布告しました。明治天皇は自から断し、皇后も眉墨・お歯黒を落として庶民の模範となりました。

  これによって、ザンギリ頭に洋風の開化風俗はお墨付きを得たのでした。

  そしてその後、洋服が取りいれられていきます。和洋のファッションを融合した日本のデザイナーたちは、今ではフランスなどとともに世界のファッションをリードするまでになっています。

  もちろん衣装や外見の模写だけではなく、政治・学問・芸術など、すべての文化の面で日本は近代化に成功していきました。

 

5 まとめ 

  明治時代、日本は近代化するために西洋文化を受け入れる必要がありました。でも、西洋文化がすべての面で日本より優れているわけではなく、むしろ日本の良き伝統を

捨てきれなかったのが事実です。

  国際化が進み、外国の文化が簡単には入ってくるようになった今、日本を伝統的な日本のままにしておくのは不可能です。しかし、その受け入れ方を明治の文明開化に学ぶことも大切だと思います。日本文化は捨てるには惜しいほど長い歴史をもった奥深いものなのだから、当時の人達のように日本文化を欧米化するのではなく、外国の文化を日本化してみてはどうでしょうか。

 

6 参考文献 及び H・P 

   「とんかつの誕生」 岡田 哲 著

    朝日新聞

   http://www.sbfoods.co.jp

      http://www.dentsu.co.jp

 

                                         34組プログラムへ戻る