味噌汁のidentity

2年1組 大 隈 隆 之



はじめに

今回のレポートでは、「食」文化のちがいにより、「食」そのものが果たす役割みたいなものを探してみたいと思う。



 「食」には、食物・調理法・食べ方などによってそれぞれの文化圏に独特のものがある。インドでは食物を直接手で口に運ぶし、イヌイットたちはとらえたえものの血をすする。これらの「食」はそれぞれの環境の中から生まれたものであり、土地の人にとってはこれがあたりまえの文化である。しかし、異なる文化圏から来た人はこれらを「野蛮だ」「きたない」などと言い、彼らの文化を理解しようとしない。そこに文化の摩擦が生じる。
 これは文化圏だけでなく、個人の間でも言えることである。日本人にもっともなじみ深いのは味噌汁である。TVドラマでは嫁と姑が味の濃さをめぐって争う。味噌汁の味が関東風でも関西風でも、具になすびを入れても入れなくても、社会で生きていく上では何も変わらないのにどうして彼ら(彼女ら)は争うのだろうか。
 答えはこうである。彼らにとって"味噌汁"がidentityだからである。自分が長い間飲んできた味噌汁は、自分が歩んできた道をあらわすものなのである。そのため"自分の"味噌汁を否定されることは、自分自身を否定されるのと同じことであり、彼ら(彼女ら)はそれをひどく嫌がる。
 味噌汁に限らず、人はそれぞれ個人の「食」をもっている。好みや習慣などによってそれぞれの「食」は異なり、決して他人と一致することではない。自分自身とでさえ、年月が隔てば一致しない。「食」とは今の自分を映す、何物にも代え難いidentityなのである。


あとがき

 今まで一度も「食」というものについて考えたことがなかったので苦労した。やっと得た結論「『食』はidentity(自分を確認できるもの)である」については満足している。ただ本文が短すぎるのが物足りなく感じられる。