「おまんやはん」にてインタビュー

4組3班 {班員 上田 ,浦上,河合,桑原,小谷,関本 (五十音順)}



創業天保12年の菓匠「福助堂」の五代目樋口芳宏さんに、お店と池田との関わり、職人としてのこだわり、これからのことなどについて、お話を伺いました。



 栄本町から建石町に行く店の前の道は、昔はもっと急でね、「牛追い坂」と呼ばれてました。この坂を越えて商人が大阪へ商いに行ってたんです。これを登ったところにね、うちのお店が建ってたんですよ。お茶屋さんみたいにね、休憩する所です。それから、日本の習慣で、必ず月に2〜3回お饅頭をお供えする儀式があるんですわ。特に京都なんかはね。それで「おまんやはん」ゆうて地域の人に親しまれてきたんです。店入ってくる時に「おまんやはん」て書いてたでしょ。まぁ、こんな風にしてお饅頭屋は昔から地域と密着してるんです。だからお饅頭屋は必ずどの地方にもあるんですよ。
 この辺は、遊郭の名残があるような格子のある家もあって歴史のある場所なんです。うちの店も老中水野さんの時代に始まってるから、池田で一番古いゆうことで、昔からのお饅頭の味を守りながら新しいものを取り入れてます。昔からのお饅頭ゆうのは、地域の儀式や言い伝えに関わるお饅頭のことです。がんがら火の時は、大文字の火を仏壇にともして、うちのがんがら火のお饅頭をお供えして、火難よけのおまじないをするんやね。そしてめんも坂、牛追い坂、星の宮さんなんかのお饅頭もある。星の宮さんいうのは、池田には「くれは織り」「あやは織り」ゆう織り姫さんがおって、夜に星の光で織っていたと言われる祠の事です。
 それから、新しいゆうのは、売る形をセルフサービスにしたり、今まで取りいれられることのなかったいちごをお饅頭に入れたことやね。お饅頭屋はもち米とうるち米さえあればできる。だから本当は、いちごは邪道なんですよ。そやけど今の時代ゆうのはそういう時代やないからね。いちご大福おいしいからね。それから、クリスマス用のメリー饅頭ゆうのも作ってます。洋菓子のようにバターなんかが入ってないから、体にいいんですよ。
 お饅頭は織田信長の時以来の茶道や華道に必要だったんです。季節季節のお饅頭やね。そうゆうのを親が作るところを子供の頃から見てて、私も作りたいと思ってたんで、何の抵抗もなく、店を継ぎました。外で、ある程度修行してからこの店に帰ってきて30年近くなるのかな。そしてまぁ、池田・箕面市を管轄する大阪府の生菓子協同組合の池田支部の支部長をやっております。それでも組合の会員さんの中で私が一番若い。30年のキャリアゆうたら職人の中では短い方です。お饅頭は奥が深いからね。でも、長く続けている職人さんほど上手いというわけでもない。お饅頭屋には、その店独自の技術があって、よそには絶対教えないんやね。保守的なのがお饅頭屋の常識。だから上手い、下手というのとは違うんです。
 池田支部の支部長以外にも、菓子工業協会の会長もやってます。工芸菓子ゆうのがあってね。木や花、それから土までお饅頭で作るんやけど、それを博覧会や品評会に出すんやね。前は紫陽花をお饅頭で表現してくれゆうことで、始めは青で、次に赤で紫で、ゆうように七変化をお饅頭で表して、作りましたね。そうゆうのをこれからも真剣にやっていこうと思ってます。
 それから、この上に池田城の城跡があるんやけど、今、ここを改築して観光の目玉にするという市の計画があるんですわ。それでこういう老舗をめぐる会のようなものを作る、とゆう感じでね。お饅頭やったらうちの店、で、うどんやったら吾妻、お酒やったら呉春、てあるんですわ。それでテレビとか、雑誌とか、新聞社とかがよく取材に来るんです。だから、インタビューには慣れてるんですよ。もし、何かあったらまた言いに来たらいいよ。




(感想)

 10分くらいなら、とお受けいただいたインタビューでしたが、1時間近く次々と思いを語っていただけ、内容が濃く楽しむことができました。